ルメール騎手はどうしたの?落馬事故から現在の無双まで

データ分析

こんにちは、競馬ブログのYUKINOSUKEです。「ルメール騎手はどうしたの?」って、最近本当に多くの方が検索しているみたいですね。

私も気になって追いかけていたんですが、この「どうしたの?」という検索ワードには、ファンの皆さんの二つの、まったく逆の感情が込められているんだと、つくづく感じます。

一つは、2024年春に競馬界を震撼させた、あの深刻な落馬事故による「怪我は大丈夫?どうしたの?」という心配です。ドバイでのG1レース中に起きたあのアクシデントで、ルメール騎手は鎖骨や肋骨の骨折だけでなく、「肺に穴が開く」という、キャリアを脅かしかねないほどの大怪我を負ってしまいました。一時は飛行機に乗れず帰国もできない状況が続き、ファンとしては「ルメール騎手、本当に大丈夫なんだろうか…」と、心配で仕方がなかったですよね。当然、春のクラシックG1シーズンでの有力馬、ステレンボッシュやレガレイラは乗り替わりとなってしまい、本当に寂しく、不安な春でした。

ですが、その絶望的とも思えた試練からの復帰。ここからが、もう一つの感情の始まりです。2024年5月にターフに戻ってきてから、特に現在の2025年秋シーズンに見せている圧倒的な活躍。これには「あの人、強すぎてどうしたの?」という、もはや驚異(あるいは少し呆れるほど)の感情です。

まさに「無双」という言葉がぴったりの状態で、秋華賞、菊花賞、そして天皇賞・秋と、なんとG1を3週連続で制覇してしまうなんて…。怪我の影響を感じさせないどころか、以前にも増して凄みを増しているようにすら見えます。

さらに、これから控えているG1レースも、話題の中心はすべて彼、と言っても過言ではないかもしれません。目前のエリザベス女王杯では、あの怪我で乗ることが叶わなかった因縁の馬、ステレンボッシュとのコンビがG1の舞台で復活します。さらに、天皇賞・秋を制した新星とのジャパンカップ、そして年末のグランプリ・有馬記念での騎乗予定も続々と決まっていて、競馬ファンとしては目が離せない状況が続いています。

しかも、驚くのはレースだけではありません。競馬場外での活動として、自身が手がけるファッションブランドのカフェを京都にオープンさせるなど、その活躍は留まるところを知りません。

この記事では、2024年に起きた心配された落馬事故の詳しい真相から、2025年現在の驚異的な「無双」の活躍、そして今後の騎乗予定まで、「ルメール騎手はどうしたの?」という皆さんの疑問の全てを、時系列でわかりやすく、そして深く掘り下げて解説していきますね。

  • 2024年に起きた落馬事故と怪我の詳細
  • 怪我によるG1乗り替わりと復帰までの流れ
  • 2025年現在の「無双」と呼ばれる活躍
  • 今後のG1騎乗予定と競馬場外での活動

ルメール騎手はどうしたの?2024年の落馬事故

それでは、まず多くの競馬ファンが固唾を飲んで見守った、2024年の出来事から詳しく振り返ってみますね。

メインの導入部分でも触れましたが、「ルメール騎手はどうしたの?」という検索の、最初の、そして最も深刻だった「怪我は大丈夫?」という心配の感情。その発端となったのが、この2024年春の出来事でした。

世界中を飛び回って活躍するトップジョッキーだからこそ、この海外でのアクシデントは、日本にいる私たちファンにとって情報が本当に少なく、そして遅れて入ってくるものでした。「落馬したらしい」「どうやら骨折か?」といった断片的な情報が流れてきては、さらに悪い続報(まさに「肺気胸」の報)が飛び込んでくる…という、本当に心配が募る数日間でしたよね。

なぜ彼は一時、日本の競馬シーンから完全に姿を消さなければならなかったのか。そして、桜花賞や皐月賞といった、春のG1クラシックシーズンという最も重要な時期にターフを去ることになったのか。その理由となった、キャリアを脅かしかねない深刻な落馬事故の詳細を、時系列でしっかりと見ていきましょう。

2024年ドバイでの深刻な落馬

ファンが「ルメール騎手はどうしたの?」と心配する、その直接的な発端となったのは、2024年3月30日のことでした 。

場所はUAE(アラブ首長国連邦)で開催された「ドバイミーティング」。ご存知の通り、これは世界中からトップホースとトップジョッキーが集結する、賞金総額もケタ違いの、まさに競馬界の一大イベントです。日本の馬たちも大挙して遠征していましたね。

その日のビッグレースの一つ、G1レース「ドバイ・ターフ」の本番中に、あの悪夢のような事故は発生しました。

ルメール騎手はアメリカから遠征してきたキャットニップという馬に騎乗していました 。レースは終盤、各馬が勝利を目指す最後の直線コースに入った、まさにその時でした。前を走っていたキャットニップが突然、何らかの故障(後に重度の脚部故障と判明)を発生して前のめりに転倒。ルメール騎手は避ける間もなく、馬もろともコースの芝に強く叩きつけられる形で落馬してしまいました。

レース中のアクシデントは競馬の一部とはいえ、この時の落馬は非常に激しいものでした。ルメール騎手は地面に叩きつけられた後、自力で起き上がることができず、すぐにコースに入ってきた医療スタッフによって担架で運ばれ、現地の病院に緊急搬送されました。

そして、非常に残念で悲しいことですが、騎乗していたキャットニップは回復の見込みが立たず、その場で予後不良(安楽死)の処置が取られました。

世界中の競馬ファンがライブ中継で見守る中での、あまりにも生々しくショッキングな出来事でした。私もリアルタイムであの映像を見ていましたが、一瞬何が起きたか分からず、ただただ言葉を失いました…。この一報が、日本のファンにとって「ルメール騎手、どうしたの?」「命は?」「選手生命は?」という、最も深刻な心配の始まりとなったんです。

肺に穴が開く大怪我、診断内容

ルメール騎手は担架で病院に緊急搬送され、日本のファンはただただ無事を祈りながら、現地のドバイレーシングクラブからの公式発表を待つことしかできませんでした。

落馬直後、最初に入ってきた情報は「鎖骨と肋骨を骨折」というものでした。もちろんそれだけでも大変なことですが、命に別状はないだろうということ、そしてトップジョッキーにとっては(残念ながら)比較的よくある怪我の範囲でもあったため、「数週間の離脱で済むかもしれない…」という一縷の望みもありました。

しかし、すぐに現地のドバイレーシングクラブから、ファンが想像していた以上に深刻な事態だったことを示す、衝撃的な続報が発表されたんです。

ドバイでの診断内容

  • 鎖骨の骨折
  • 肋骨(ろっこつ)の骨折
  • 肺に穴が開く(肺気胸)

特に衝撃的だったのが、3つ目の「肺に穴が開いた(肺気胸)」という事実です。

これは、単なる骨折とは比較にならない、非常に危険な重傷です。折れた肋骨が肺に刺さった可能性などが考えられますが、何よりも、肺に穴が開くということは、気圧の変化に耐えられないことを意味します。

つまり、飛行機での移動が一切できなくなる ということ。世界中を飛行機で飛び回り、日本国内でも美浦(関東)と栗東(関西)を毎週のように移動するのが日常である騎手にとって、これはキャリアを根本から揺るがす、致命的とも言える診断でした。

この一報により、「ルメール騎手はどうしたの?」というファンの心配は、「いつ復帰できるのか?」というレベルから、「そもそも日本に無事に帰ってこられるのか?」「騎手として再起できるのか?」という、最も深刻なレベルに達したんです。

帰国できずドバイで療養

この「肺気胸」という診断が、事態を最も深刻で、そして複雑なものにしました。

ご存知の通り、肺に穴が開いた(肺気胸)状態では、飛行機での移動は絶対に禁止です。上空での気圧の変化によって、損傷した肺がさらに深刻なダメージを受けたり、最悪の場合、呼吸困難に陥ったりする危険性が非常に高いため、当然ながら即座に「ドクターストップ」がかかりました 。

これにより、ルメール騎手は「怪我はしたけれど、すぐに日本に帰って勝手知ったる場所で専門の治療を受ける」という選択肢を、完全に奪われてしまったんです。

彼は怪我の治療だけでなく、まず「飛行機に乗れる体」に安全に戻すため、肺が自然に回復するまでの間、異国の地であるドバイでの療養を余儀なくされました。

ドバイでの療養タイムライン

  • 3月30日:ドバイ・ターフで落馬、病院へ緊急搬送 。
  • 4月1日:現地の病院をひとまず退院 。
  • 4月1日~14日:ドバイ市内に滞在し、肺の回復を待つための療養期間(約2週間)
  • 4月15日:ようやく飛行機の搭乗許可が下り、日本へ帰国 。

この「ドバイでの2週間」が、日本で待つファンにとっては本当に長く、やきもきする日々でしたよね。「いつ帰国できるんだろう」「肺の状態は本当に良くなっているんだろうか」と、続報をただひたすらに待つ日々でした。

ようやく私たちのもとに朗報が届いたのは、事故から半月以上が経過した4月15日のこと。ルメール騎手自身がSNSを更新し、「今日、日本に戻ります!」と、かつてのパートナーであるハーツクライ(奇しくもこの日が誕生日でした )のTシャツを着た姿(右腕はアームホルダーで痛々しく固定されていました )で報告してくれた時は、本当に心の底からホッとしました。

しかし、この帰国は「復帰」ではありません。あくまで治療の第一段階(ドバイ編)が終了したに過ぎず、帰国後はすぐに日本国内で、骨折した鎖骨の手術を受け、本格的なリハビリテーションへと移行しました 。日本のファンが待つターフに戻るための、次なる戦いが始まった瞬間でした。

怪我によるG1乗り替わりと復帰

この長期離脱は、タイミングとして本当に最悪でした。ドバイでの療養と帰国後の手術・リハビリ期間が、日本の競馬が最も盛り上がる春のクラシックG1シーズン(桜花賞、皐月賞)と真っ直ぐに重なってしまったんです 。

これがファンにとっても、そして何よりルメール騎手本人にとっても辛い、「失われた春」となってしまいました。トップジョッキーにとって、3歳馬のクラシックレースは、その後のキャリアを左右する最も重要な舞台の一つ。それを、最も有力なお手馬で戦うことすらできなかったのです。

特に、彼が騎乗する予定だった以下のG1有力馬は、無念の乗り替わりとなってしまいました 。

ルメール騎手が逃したG1有力馬

  • ステレンボッシュ(→ 桜花賞:戸崎圭太騎手に乗り替わり)
  • レガレイラ(→ 皐月賞:北村宏司騎手に乗り替わり)

結果として、ステレンボッシュは戸崎騎手の手綱で見事に桜花賞を制覇しました 。喜ばしいことであると同時に、ルメール騎手にとっては、自分が乗るはずだった馬がG1を勝つのを、ターフの外から見ているしかないという、非常に複雑な状況でした。

彼は後に、当時を振り返り「大事なG1の皐月賞、桜花賞。フラストレーションがありました。ストレスでした」「乗りたかったです。乗る予定だった馬を応援していました」と、その無念の心境を率直に吐露しています 。トップジョッキーとしての悔しさが痛いほど伝わってきますね。

執念のダービー復帰

しかし、ルメール騎手はただ落ち込んでいたわけではありませんでした。彼の視線は、既に「次」を見据えていました。肉体的な苦痛と精神的なフラストレーションの中で、彼は驚くほど強い復帰への意志を見せていました。

リハビリ中から「(5月19日の)オークスも、(5月26日の)ダービーは絶対に大丈夫」と公言し 、競馬の祭典である日本ダービーを最大の目標として明確に設定していたんです。あの「肺に穴が開いた」大怪我から、わずか2ヶ月足らずでトップパフォーマンスが要求されるダービーに間に合わせる、というのは、常人では考えられない精神力ですよね。

そして2024年4月25日、帰国からわずか10日後、まだ手術の痛々しさも残る中、自身が立ち上げたアパレルブランドのイベントで、負傷後初めて公の場に元気な姿を見せました 。ファンを安心させたいという、彼のプロ意識が感じられた瞬間でした。

そして、ついにその日がやってきます。当初の目標(5月前半)通り、2024年5月5日の東京競馬場で無事レースへ復帰しました。事故からわずか36日後の、執念のカムバックでした。あの時の東京競馬場に響いた、ファンからの安堵のため息と、戻ってきた絶対王者への大きな拍手は、私も本当によく覚えています。まさに「おかえりなさい」という空気に包まれていました。

ルメール騎手はどうしたの?現在の「無双」

2024年の深刻な試練、あの「肺に穴が開く」 という大怪我と、辛いリハビリ期間 。それを驚異的な精神力と回復力で乗り越えたルメール騎手。セクション1では、ファンの「大丈夫?どうしたの?」という「心配」の側面を詳しく見てきました。

ここからのセクション2では、「ルメール騎手はどうしたの?」の、もう一つの側面。2025年(現在)の、圧倒的な活躍について見ていきましょう。

そう、現在の「どうしたの?」は、2024年の心配とはまったく質が違うんです。

あの人、強すぎてどうしたの?
「あの怪我はどこへ行ったの?」
「もしかして、あの怪我で何か覚醒(かくせい)した…?」

といった、ファンの「驚異」(と、少しばかりの呆れ)に満ちた「どうしたの?」なんですね。

あの深刻な怪我がまるで嘘だったかのように、どころか、むしろレース勘や勝負勘が研ぎ澄まされ、「何かを掴んだ」かのようです。今は「強すぎる!」という意味で、競馬界の話題を完全に独占しています。

まさにスポーツ紙の見出しが「無双が止まらない」 と書き立てるほどの、圧倒的な活躍ぶりなんです。2024年の「失われた春」 を取り戻すどころか、それ以上のお釣りが来るような、キャリアの絶頂期とも言えるパフォーマンスを、今まさに私たちに見せつけてくれています。

では、その「無双」とは具体的にどんな内容なのか? G1・3週連続制覇という快挙 から、今後の騎乗予定まで、詳しく掘り下げていきますね。

G1・3週連続制覇という現在の活躍

2025年の秋シーズン、ルメール騎手はまさに「神の手」と評されるほどの、圧巻のパフォーマンスを私たちファンに見せつけています 。

その「無双」 状態を象徴しているのが、G1レースが3週連続で行われた秋の王道ローテーション(秋華賞→菊花賞→天皇賞・秋)を、なんとすべて勝利するという「JRA G1・3週連続制覇」の歴史的な快挙を達成したことなんです 。

これはもう、本当に「どうしたの?」としか言いようがない、とんでもない記録ですよね。その内訳を、レース内容のポイントと共に振り返ってみましょう。

ルメール騎手 2025年秋「G1・3週連続制覇」の内訳

日付 (レース名) 勝利馬 解説・ポイント
第一冠:秋華賞(G1)
(10月19日)
エンブロイダリー 牝馬三冠の最終戦。ルメール騎手はレースのペースを完璧に見越し、的確なタイミングでスパートする見事な騎乗で同馬を勝利に導きました 。まさに「ルメール騎手だから勝てた」とも言われる、圧巻の手綱さばきでしたね。
第二冠:菊花賞(G1)
(10月下旬)
エネルジコ 牡馬三冠の最終戦。スタミナが求められる3000mの長距離戦で、馬の能力を最大限に引き出し完勝 。秋華賞に続き、栗東(関西圏)に滞在した関東馬での勝利 で、馬のコンディション作りも含めた「チーム」としての勝利でもありました。
第三冠:天皇賞・秋(G1)
(11月2日)
マスカレードボール (3歳馬) G1馬が7頭も揃う という超豪華メンバーの古馬王道G1。その中で3歳馬のマスカレードボールを、道中は中団でじっと我慢させ、直線で素晴らしい切れ味を発揮させて差し切り勝ち 。馬のG1初制覇をエスコートし、自身の3週連続G1制覇を達成しました。

特に衝撃的だったのは、3週目の天皇賞・秋です。G1馬が7頭も揃う という、近年まれに見る超豪華メンバーだったんですよ。その百戦錬磨の古馬たちを相手に、まだ3歳のマスカレードボールを見事にG1初制覇に導いたあの騎乗は、まさに「神の手」 と評されるにふさわしいものでした。

道中は中団の馬群の中でじっと我慢させ、直線で東京競馬場の長い坂を駆け上がってから素晴らしい切れ味を発揮させて一気に差し切る… まさに、馬の能力を120%引き出すお手本のような騎乗でしたね。

彼自身もこの絶好調ぶりについて、「馬のおかげです」「今は全てがかみ合っているような時期です。自分自身のリM ズムもいいから、いい騎乗ができましたね」と、心技一体の、キャリアの絶頂期にあることを認めています 。2024年のあの大怪我を乗り越えて、ここまで完璧なパフォーマンスを見せてくれるとは、本当に脱帽しかありません。

止まらない連勝とG1以外の勝利

前のセクションで触れた「G1・3週連続制覇」 という歴史的な快挙…もちろん、これだけでも「どうしたの?」と驚くには十分すぎるんですが、現在のルメール騎手の「無双」 っぷりは、G1レースが開催されていない週でも、まったく止まらないんです。

むしろ、G1という華やかな舞台がなくても、G1のない「谷間の週」であっても、彼の勝負勘は一切鈍りません。その relentless(容赦ない)なまでの強さこそが、彼の「無双」状態を支える土台になっているんですよね。

数字がそれをハッキリと示しています。2025年11月の時点で、彼はすでにJRAで117勝(中央)を挙げており、もちろんこれはリーディングジョッキー争いでも堂々の首位を独走している数字です 。2位以下を大きく引き離しています。

G1・3週連続制覇の合間、G1の谷間の週であっても、その手は止まりませんでした。

G1の合間もこの活躍…

  • JBCクラシック(Jpn1):ミッキーファイトで勝利 。これは地方・船橋競馬場で行われた、ダートのG1級レースです。芝だけでなくダートのトップカテゴリーでもしっかり勝ち切っています。
  • 京王杯2歳S(G2):ダイヤモンドノットで勝利 。こちらは中央の2歳馬による重賞。来年のクラシックを占う重要なレースで、若い馬をきっちり勝利に導いています。

芝もダートも、酸いも甘いも知るベテランの古馬も、まだこれからの2歳馬も、馬のカテゴリーやコンディションを問わずに勝ち続ける…これこそが、現在のルメール騎手の本当に恐ろしいところですよね。

あまりにもドラマチックな「イクイノックスM」勝利

そして、この秋の「G1以外の勝利」の中で、G1勝利以上にドラマチックで、ファンを「やっぱりルメールは“持っている”」と唸らせたレースがありました。

それが、11月9日の東京競馬場で行われた「イクイノックスメモリアル(オープン)」での勝利です 。

このレースは、その名の通り、ルメール騎手自身が全10戦で手綱を取り、世界を制した、あの歴史的名馬イクイノックスの顕彰馬入りを記念して名付けられた、まさに彼のためのようなメモリアルレースでした 。

そして、彼がこのレースで騎乗したのは、イクイノックスと同じ馬主(シルクレーシング)のウィクトルウェルス 。馬は未勝利戦から3連勝中で、このレースが4連勝目とオープン入りをかけた戦い。そして、もちろん鞍上はルメール騎手…。

これ以上ないほど「お膳立て」が整った、あまりにも出来すぎたシチュエーションですよね。競馬ファンなら誰もが「ここでルメールが勝つ」という完璧な「物語(ストーリー)」を期待していました。

当然、ウィクトルウェルスは単勝1.4倍という圧倒的1番人気 。この「勝って当たり前」という、G1とはまた違う凄まじいプレッシャーの中で、ルメール騎手は完璧なエスコートを見せ、直線で楽々と突き抜け、見事にウィクトルウェルスを勝利に導き、同馬の4連勝を達成させました 。

レース後、彼は「良かったです。(中略)上のクラスにいけると思う」と、メモリアル勝利の喜びと、馬の将来性について静かに語っていました 。

G1での神がかった騎乗と、こうした「絶対に負けられない」メモリアルレースでの圧巻の勝利。本当に「持っている」としか言いようがない、まさに手が付けられない状態ですね。

G1・4連勝へ、エリザベス女王杯

さて、G1・3週連続制覇 という、とんでもないことをやってのけたルメール騎手。彼を待つ次なる大舞台、そして、このレポートを書いている今、まさに目前に迫っているのが、11月16日に京都競馬場・芝2200メートルで行われる「第50回エリザベス女王杯(G1)」です 。

そして、このレースは単なる「次のG1」というだけではありません。G1・3連勝の時点で歴史的だったんですが、もし、この記念すべき第50回のレースもルメール騎手が勝利すれば…

なんと、彼自身が持つJRA最多記録(過去に2度達成)に並ぶ、「G1・4連勝」という、とんでもない金字塔を打ち立てることになるんです 。

もはや「どうしたの?」を通り越して、「歴史上の偉人」の域ですよね…。彼が今まさに挑戦しようとしているのは、他の誰でもない、過去の自分自身が打ち立てた偉大な記録なんです。

もう一つの「偉業」へ

しかも、このレースにはもう一つの感動的なドラマが用意されています。

今回、ルメール騎手がコンビを組むステレンボッシュの管理調教師は、国枝栄調教師 。そう、あの歴史的名牝アーモンドアイで、ルメール騎手と名コンビを組んだ恩師の一人です。

そして、国枝調教師にとって、この「エリザベス女王杯」のタイトルは、彼がG1を完全制覇するために残された、最後の「牝馬G1」のピースなんです 。

ルメール騎手のG1・4連勝と、国枝調教師の「牝馬G1完全制覇」。二人のレジェンドの偉業が懸かった、本当に特別な一戦になるんですね。

2024年の春、あれだけの試練を経験した彼が、2025年の秋、こんなにも輝かしい大記録の舞台に、ど真ん中に立っている。競馬の神様は、一人の人間にどこまで劇的な試練と、それを超える栄光を与えるんでしょうか。本当に、目が離せない一戦です。

ステレンボッシュとの因縁

そして、そのG1・4連勝 という歴史的な大記録がかかるエリザベス女王杯で、ルメール騎手がコンビを組むのが、4歳牝馬の「ステレンボッシュ」 です。

この馬の名前を聞いて「あっ」と声を上げたり、胸が熱くなったりした競馬ファン、本当に多いんじゃないでしょうか。私もその一人です。

そう、何を隠そう、このステレンボッシュこそが、セクション1で詳しく触れた、2024年のドバイでの落馬事故によってルメール騎手が乗ることが叶わなかった、あの「桜花賞(G1)」の勝ち馬なんです 。

この騎乗は、単なるG1・4連勝への挑戦、という言葉だけでは片付けられません。そこには、2年越しの、あまりにも深い「因縁」と「物語(ストーリー)」が横たわっているんです。

因縁のタッグ・ステレンボッシュを巡る物語

  • ① 2年越しのG1コンビ復活
    ルメール騎手とステレンボッシュのG1でのコンビは、2023年の阪神ジュベナイルフィリーズ(G1・2着)以来、約2年ぶりとなります 。あの時、G1制覇にあと一歩届かなかった二人が、時を経て、G1馬となったステレンボッシュと、G1・3連勝中という絶頂期のルメール騎手として、再びG1の舞台でタッグを組むんです。
  • ② 異例の「2週連続」コンタクト
    ルメール騎手はこの馬に並々ならぬ思いを懸けています。彼は「さすがG1ホースです。能力はあるので自信を持って乗りたい」 と、その能力に全幅の信頼を寄せています。その意気込みは行動にも表れていて、「最近では珍しい」とされる、G1の2週連続での追い切り(調教)に自ら騎乗しています 。万全のコンタクトを取り、人馬一体となって本番に臨むという、彼の強い意志の表れですよね。
  • ③ 恩師・国枝調教師の「悲願」
    そして何より、この馬を管理するのは、あのアーモンドアイでルメール騎手と世界を制した名コンビ、国枝栄調教師です 。国枝調教師にとって、この「エリザベス女王杯」のタイトルは、彼が輝かしいキャリアで唯一手にしていない、最後の一片。つまり、彼の「牝馬G1完全制覇」がかかった、悲願のレースなんです 。

ルメール騎手自身の「G1・4連勝」という大記録。
そして、恩師である国枝調教師の「牝馬G1完全制覇」という悲願。

それら全てを、2024年の「失われた春」 で乗ることが叶わなかった、因縁のパートナー・ステレンボッシュと共に掴み取りにいく…。

これ以上ないほどのお膳立てが揃った、あまりにもドラマチックな舞台ですよね。2024年の春に止まってしまった二人の物語が、2025年の秋、京都の地で再び動き出します。これはもう、注目しないわけにはいきません。

ジャパンカップの騎乗予定

エリザベス女王杯でG1・4連勝という大記録に挑んだ後も、もちろんルメール騎手の「無双」 は止まりません。彼の視線は、すでにその先、11月30日に東京競馬場・芝2400メートルで行われる、秋の最強馬決定戦「ジャパンカップ(G1)」へと向かっています。

そして、この日本競馬の頂点とも言えるレースで、彼のパートナーを務める馬も正式に決定しました。

G1・3週連続制覇のフィナーレを飾った、あの天皇賞・秋(G1)を圧巻の走りで制した3歳馬「マスカレードボール」です 。

この決定は、11月5日に馬主である社台サラブレッドクラブから正式に発表されました 。G1初制覇を果たしたばかりの3歳馬が、休むことなく中3週で、古馬の最強馬や海外からの強豪が集うジャパンカップに挑戦する。まさに、最強馬へと続く「王道中の王道」ローテーションですね。

ルメール騎手とジャパンカップの「特別な関係」

そして、この「ジャパンカップ」というレースは、ルメール騎手にとって、近年最も「神がかった」騎乗を見せている舞台の一つなんです。

彼の近年のジャパンカップでの成績を振り返るだけでも、その凄さが分かります。

  • 2020年:歴史的名牝アーモンドアイに騎乗し、無敗の三冠馬2頭(コントレイル、デアリングタクト)を退け、感動の引退レースVを飾る 。
  • 2021年:オーソリティで2着と好走 。
  • 2023年:歴史的名馬イクイノックスに騎乗し、世界中が注目する中で、まさに「異次元」としか言いようのない圧巻の走りで勝利を収める 。

そう、アーモンドアイ、イクイノックスという、日本競馬史に燦然と輝くレジェンド級の馬たちと共に、このジャパンカップを制しているんです。

天皇賞・秋を勝った後、ルメール騎手はパートナーのマスカレードボールを「3歳で天皇賞を勝ってレベルはとても高いので、改めてG1を勝てると思います」と、その能力を最大級に賞賛していました 。

レジェンド馬(アーモンドアイ、イクイノックス)で制してきたこの大舞台に、今度は自らがG1初制覇へと導いた「新たな3歳王者」マスカレードボールとのコンビで挑む。彼がこの新星と共に、3度目のジャパンカップ制覇を成し遂げるのか。こちらも、本当に楽しみな一戦ですね。

有馬記念の騎乗予定

そして、2025年の日本競馬を締めくくる最後にして最大の夢舞台、年末のグランプリ「有馬記念(G1)」。このレースの騎乗予定馬の選択にも、ルメール騎手らしい「戦略家」としての一面が、はっきりと、そして見事に光っています。

G1・3連勝 、そしてG1・4連勝 に挑むなど、この秋の彼はまさに「無双」 状態。当然、彼のもとには有馬記念に向けて複数のお手馬(騎乗依頼)が集まっていました。

ファンが注目したのは、彼がどの馬を選ぶのか、という「選択」です。彼には、昨年の有馬記念を制したレガレイラや、G1級の実力馬ローシャムパークといった、超G1級の有力なお手馬が他にもいたんです 。

しかし、数多くのお手馬の中から、ルメール騎手が2025年のグランプリパートナーとして選んだのは、3歳馬の「アーバンシック」でした 。

なぜ、昨年の覇者(レガレイラ)ではなく、成長著しい3歳馬(アーバンシック)を選んだのか?

そこには、ルメール騎手の明確な「勝つためのロジック」がありました。

ルメール騎手の有馬記念戦略(アーバンシック選択の理由)

  • ① 3歳馬の優位性:3歳馬が相性がいいレースで、タフな馬が勝ちます」 とルメール騎手は語っています。斤量(馬が背負う重さ)の恩恵がある3歳馬が、有馬記念で好走しやすいというデータと傾向を重視しているんですね。
  • ② 中山2500mへの適性:「スタミナもあるので、2500メートルはちょうどいい距離だと思う」 と。有馬記念の舞台である中山・芝2500mは、非常にトリッキーでスタミナが求められるコース。アーバンシックの適性に自信を持っているようです。
  • ③ 「菊花賞」の経験値(最重要):彼が挙げた最大の理由がこれです。「菊花賞はスタンド前を2度通るから(有馬記念に)つながる」。G1の独特な雰囲気の中、スタンド前の大歓声を2度も浴びる長距離レース(菊花賞)を経験しているタフな3歳馬は、同じくスタンド前を2度通る有馬記念でも力を発揮できる、という戦略です。
  • ④ 過去の「成功体験」:そして、この戦略は彼の「成功体験」に基づいています。「(2016年の菊花賞馬)サトノダイヤモンドも勝ちましたから」 と。まさに2016年、ルメール騎手は菊花賞を勝ったサトノダイヤモンドで、3歳馬として有馬記念を制覇しました。あの時と同じ「勝ちパターン」を、このアーバンシックにも見出しているんです。

そして、ルメール騎手が見据える最大の目標は、このレースで引退(ラストラン)を迎える絶対王者、武豊騎手の「ドウデュース」を倒すこと 。

ドウデュースという特別な馬を負かしたいね」 と、挑戦者として、そして最高の敬意を持って、ルメール騎手ははっきりと公言しています。

現役最強のレジェンドホース(ドウデュース)を、成長著しい新時代の3歳馬(アーバンシック)で倒し、2025年の最後を締めくくる。ルメール騎手自身も「今年はけがもありましたし、アップダウンの激しい年でした。最後にいい結果がほしいです」 と語る、まさに集大成の一戦。こちらも今から本当にワクワクしますね。

競馬場外での活動とは

G1・3週連続制覇 どころか、G1・4連勝 に挑もうかという、これだけ騎手として多忙を極める一方で、ルメール騎手はレース以外の、ビジネスの分野でも大きな一歩を踏み出しています。彼の「どうしたの?」という凄さは、競馬場の中だけに留まらないんですよね。

2025年の秋、G1連勝で競馬界が盛り上がっているまさにその最中の11月6日、彼が創設したファッションブランド「CL by C.ルメール」の初となる旗艦店、「CL FASHION & CAFE」を京都市中京区にオープンしました。(出典:株式会社 CL by C.L PR TIMES配信

エリザベス女王杯 が行われる京都競馬場にもほど近い、競馬ファンにも馴染み深い京都の地に、カフェを併設したお洒落なコンセプトストアをオープンさせたんです 。これは、単なる「騎手のブランドショップ」という枠を超えて、ファンが集い、競馬文化に触れられる新しい「場所」を提供しようという、彼の強い意志を感じます。

単なる「副業」ではない、ブランド活動の意味

このブランド活動が、彼にとってどれほど重要か…それは、2024年のあの辛い出来事を思い出すと、はっきりと分かります。

そう、あのドバイでの深刻な落馬事故 の後、日本に帰国し、手術とリハビリに励んでいた彼。その彼が、負傷後初めてファンの前に公の場に姿を見せたのは、他でもない、この自身のアパレルブランドのイベント(ポップアップストア)だったんです

まだ腕をアームホルダーで固定した痛々しさも残る中 、彼がファンを安心させ、「ダービーには間に合う」 と力強く宣言するために選んだ場所が、G1の会見場ではなく、彼自身のブランドの舞台でした。あの時、私たちは彼がただの騎手ではなく、一つの文化を発信する「クリエイター」でもあることを強く認識させられました。

ですから、彼にとってこの活動は、単なる騎手業の傍らの「副業」ではまったくないんだな、と私は感じています。むしろ、「騎手クリストフ・ルメール」としての人生と、もう一つの「クリエイター」としての一面を、完全に連動させた、彼の「ライフワーク」そのものなんでしょうね。

G1のゴール板を先頭で駆け抜ける「無双」 の姿と、京都の地で新しいビジネスを立ち上げ、ファンに新しい体験を提供する姿。アスリートの枠を軽々と超えて活動を続ける、彼の底知れないエネルギーには、本当に脱帽しかありません。

ルメール騎手はどうしたの?の総まとめ

さて、ここまで「ルメール騎手はどうしたの?」という疑問を、2024年の「過去・怪我編」と、2025年の「現在・活躍編」に分けて、時系列で詳しく掘り下げてきました。

最後に、この記事の総まとめとして、多くの人が抱いた「どうしたの?」という疑問への、私なりの最終的な答えを提示したいと思います。

結局、この検索キーワードには、この記事で見てきたように、二つの全く異なる、しかし密接に連動した意味が含まれていたことが、はっきりと分かりますよね。

「ルメール騎手はどうしたの?」二つの答え

  1. 【心配の “Down”】 2024年春、ドバイでの落馬事故。
    「鎖骨・肋骨骨折、さらに肺に穴が開く」 という、選手生命を脅かすほどの大怪我を負い、帰国もままならず 、春のG1を棒に振る という、まさにキャリアの「どん底」にいました。ファンは「大丈夫か?」と、深刻な心配をしていたんです。
  2. 【驚異の “Up”】 2025年秋、その試練を乗り越えてからの「無双」 。
    「G1・3週連続制覇」 という歴史的快挙を達成し、リーディングを独走 。あの怪我が嘘のように、むしろ以前より凄みを増して勝ち続ける姿に、ファンは「強すぎて、どうしたの?」と、驚異の念を抱いているんです。

この結論は、ルメール騎手自身が2025年の年末を前に語った言葉によって、完璧に裏付けられています。

今年はけがもありましたし、アップダウンの激しい年でした。最後にいい結果がほしいです」

まさに彼自身が語ったこの「アップダウン」こそが、「ルメール騎手はどうしたの?」という疑問の核心だったんですね。

2024年の「ダウン」(絶望的な落馬事故)から、2025年の「アップ」(圧倒的なG1連勝)の頂点へと、わずか1年半ほどの間に、ジェットコースターのように駆け上がった。それが、ルメール騎手のこの2年間だったんだなと、私は思います。

そして今、彼の「無双」 は、G1・4連勝がかかる、因縁のステレンボッシュとのエリザベス女王杯 へ。新旧対決となる、新星マスカレードボールとのジャパンカップ へ。そして、絶対王者ドウデュース に戦略的に挑む、グランプリ有馬記念 へと、まだ続いていきます。

2024年のあの深刻な試練は、決して無駄ではなかった。それは、2025年に、この伝説的な活躍を見せるための、壮大な「序章」に過ぎなかったのかもしれませんね。

関連記事リンク

コメント